小野昌朗  東京R&D 元:代表取締役CEO

 左の方が小野さん、近藤健治さんも若い・・・(近藤レーシングガレージ)

マキF101を設計するのにあたって、デレック・ガードナーに国際電話をかけた。
当時はティレル級のF1チームでも、チーフデザイナーと助手程度の小さい所帯です。
直線スピードを上げたいからトレッドを狭くして、前後ホイール間のポンツーンは幅広にして、当時は我々は富士GCの経験が大きくて、直線スピード最優先に考えていました。
ガードナーは『やってみれば』
ところがイギリスで走り始めたら、このスタイルでは走れない。重いし、回頭性が悪くて曲がらない。最小限のカウルにしたら必然的にF101Bの形になった
ラジエター/オイルクーラーの位置はマーチを見習いました。マーチのロビン・ハードってとても合理的というか、こだわるところとそうでないところの見切りがすごい。
この時にカーボンファイバーにも初めて触れました。F101Bに一部使っています。まだクロスではなく包帯状の束で補強用に
ドライバーのホーデン・ガンレイの倉庫兼ワークショプがあったんです、どうやらガンレイ自身もコンストラクターをやりたかったみたいで、すでに場所を確保してあった。
そのガンレイのワークショップの隣がダイマグというホイール屋で、とても便利。それまでは自分たちでホイールまで設計して作っていましたから、
そのダイマグの経営者がマイク・ナイトという人物

バーニーエクレストンがF1チームのまとめ役となり始めた時期で、秘書のピーター・マッキントッシュと話を付けました。ガンレイが間に入ってくれて、出ようと思ったグランプリの主催者やASN宛に、その旨タイプ打って送ると、断られることはなかった。
技術的には似たり寄ったりお水準だと思いました。引け目は感じなかった、ただ我々は資金があまりにも少なすぎた。
日本のトップチームの活動費より少なかった。イギリスにはレース専門のパーツ屋や職人が大勢いて、比較的安い料金で物や技術が短期間で手に入れられる。
でも我々にはそのノウハウがないし、何もかも節約しながらの活動なおで、とりあえず走らせるというのが目標になってしまった。