悠々球論 権藤博氏 「仮病」に込めた敬意

巨人・高橋由伸監督の最後のころのこと。故障から復帰したばかりの彼に、
ベンチで会った私は「仮病、治ったか?」と声をかけた。
これは実力者に対する敬意の表現で、今までちょっと休んでいるだけで、いざ本番になったらやれるよ、というエールを込めたものだ。
そんな大選手でも、年を取ってから故障し、ブランクができると不安になる。そこで「頑張れ」と励ますのはヤボというもの。
「仮病」というしゃれで済ませるのが一番。
今、この言葉をかけたいのが、ソフトバンクから退団した松坂太輔(37)。米国から戻って3年間プレーしたが、1試合の登板に終わった。
さすがに3年の仮病は長すぎるが、いざとなったらまだまだやれるよ、と言いたいのだ。
仮病の人に必要な”治療”は実践のマウンドに上げること。これしかない。どんな実力者でも出番がなければ感覚が鈍る。
松坂のように経験のあり、生まれながらのスターである選手の底力は練習や2軍戦でなげても出てこない。
スイッチが入るのは1軍の公式戦で、ここで打たれたら終わり、という場面のみ。一流とはそういうものだ。
中日が獲得に乗り出し、入団テストを行うという。しかし、もし採用したとしても、ちゃんと仕上がるあで2軍で調整、ということをしていたら永遠に復活はない。
契約するなら、10試合くらいは先発で起用すると決めて採らないと。
今は「無所属」のイチローにも、同じことが言える。去年までマーリンズでベンチを温め続け、干された状態だった。
今、イチローに会ったら「いい干し物になったなあ」と言ってあげよう。
これも私なりの敬意の表現で、これまで出番がなかっただけで、試合に出さえすればできるんだから、という意味。
実践という「水」に戻せば、イチローはまた生き生きと泳ぎ始めるだろう。
「仮病」も「干物」も、失礼な言い方に聞こえるかもしれないが、そういう言葉をかけられるのも、一流だからこそである。