2017.10.23 日経新聞・春秋より

平均株価の歴史的な連騰や超大型台風の接近といった吉凶もさまざまな兆しのなか、第48回の衆院選が投開票された。
選ばれた面々は、改元東京五輪など大きな節目が控える日本の針路を担う。むろん、デフレ脱却や被災地への復興への取組も忘れてはならない。
今回の選挙では、私たちが代を継いで培ってきた好悪の尺度のようなものが、ぬうっと顔を出した気がする。
希望の党の小池代表が口にしてしまった「排除」は、古いムラ社会の制裁のように受け止められた。
安保や憲法の改正に関する踏み絵も歴史のかなたなの強権的な手法を思い起こさせ、厳しい審判となったどろう。
逆に立憲民主党は「判官びいき」の波に乗ったようだ。筋を通したことへの共感も大きい。
一方で、与党への支持の割に内閣支持率が低迷という珍現象は強引な国会運営や森友・加計問題を幕引きするような動きが招いた面がある。
「おごれる人も久しからず」か。政権継続には1強を笠に着ぬ丁寧な説明が大切になろう。
しかし、有権者も政治家も古い物差しに右往左往しては、政権を冷静に吟味する目は養われまい。
例えば、焦眉の急である社会保障の改革だって、今回もバラまき色が目立ち、給付減や負担増お訴えは後景にしりぞいた。
痛みを避ける風潮こそ「国難」と思える。白亜の殿堂で未来を見据えたまっとうな議論を期待したい。