サッカー人として・三浦和良 「リーダーのあるべき姿」

政党なら党首、ピッチ内ならキャプテン。リーダーとはどうあるべきか。正直に言えば、リーダーなるものに大きな意味はないとブラジル時代は思っていた。
一人ひとりが個人事業主で、自分の役割と責任を全うすることでチームの助けになるのがプロ。
なれあい、仲良し集団になる必要まではないし、自分はどうあるべきかを個々人が問う集まりならいんながリーダーであるべきで「キャプテン」は重要じゃないはずだ。
ただし何千匹もが無秩序に動くかのようなアリの世界にもリーダー核はいて、統率がとれていると聞く。
無法者のようなワル集団にも長や副長ができ、必要な規律が保たれる。生き物はおしなべてそうなんだろう。やはりピッチにもリーダーがいると助かるね。
プレシーズンの鹿島との練習試合。小笠原満男選手が休むことなく周りを鼓舞し、同時に励ましていた。
優勝も、それを逃す経験もした選手が率先して行動し声を出す。ああいう存在がいるから鹿島は強いんだ。
今週の横浜FCの練習後では、監督が「若いやつの声が出てない。もっと要求しろ」と怒った。
確かに20歳のヒデ(中田英寿氏)は当時から支持されずともすごく要求を周りにしていてね。衝突も辞さず、物おじせず、言うべきことは言う。
おのずとリーダーシップを発するというか。
練習での声だしについては「とにかく出し続けるとことで、やがて意味ある意見も出せるようになる」という見方もあるみたい。
ただ、イタリアでは練習中の掛け声や私語は禁止、みんな黙って練習するクラブもある。リーダーは様々だ。
選手に「もっと発言し、要求をしろ」と求める監督も、ヒデくらいの要求を自分に向けられたら困っちゃうかもね。
「そこまで食ってかかれとは言ってない」と、嫌がるかもしれない。
でも文句も言わぬイエスマンの選手が、腹の中では「負けて、この監督が早く辞めないかな」と思っていないとも限らない。
逆に要求の高い選手は、それだけ真剣に突き詰めていることが多い。煙たい選手の方が、監督と同じくらいチームの勝利を考えていて、頼りになったりもする。
自己本位に見えても、勝つために言える人。それもリーダーのかたちです。