世の中にはコアなファンと言いますか、拘りの方々が沢山いるものですね。 寺部龍介氏ZACO制作室



 ハセガワ模型からLC90って模型が発売されているのに、どうしてもLC91を造りたいとレジンキットF1を販売・・・



LC91が燃えた日(1993.12.15寺部氏記述)
「今、車急いで組んでいるんです。FOCAの件情報が入って無いのですが、そちらは何か分りましたか?」91シーズンまであとわずかとなった深夜、鈴木選手の海外マネージャー、クロード吉沢さんから僕の自宅スタジオにTELが入った。
この年、僕はブラバムのスタッフとして仕事をする事になった。関係あるラルースチームが大ピンチという事で、広報活動のお手伝いをつる事となった。前年、日本GPで3位になったとはいえ、エスポの撤退による資金難、リジェによる圧力によって
ランボルギーニエンジンは取られ、オマケにポイント剥奪という、現代F1界の悪い面すべてに襲われた感じのチームは、危機に直面していた。
さて何でクロードさんからTELが入ったか、僕はこの時、チームの情報番組を製作し、ダイヤルQ2の会社とタイアップして流していたのだ、利益はチームに還元されるし、ピンチを逆手にとってラルースチームの知名度もアップさせようという企画だった。
各レースの予選〜決勝が終ると直ぐ、現地からクロードさんからTELを入れてもらい、録音、編集してして、タイアップ会社に持ち込む。大体3日間は徹夜の作業をやっていた。
バカだな!CM音楽の仕事もやっていたので、家の機材が大活躍という訳だ。
ランボを失ったチームは前年ティレルに搭載され、活躍した、ブライアン・ハートのDFRを使用する事になった。
もともとランボ用だったLC91にV8DFRとランボのギアボックスを合体させる作業は大急ぎで行われた。資金難からシャーシは2台だけしか製作されない。それを開幕直前まで組み立てていたんだから。当時の状況は想像できると思う。
我F1評論家と空力博士が大発生した当時、各マスコミも圧倒的なマルチシリンダー有利を唱えていが、G・ラルース。G・ドガラージュは違う意見を持っていた。
確かに成熟してきたランボを失うのは痛かったが、V8のシャーシは設計が楽でシャーシ合成も高い、燃費が良いので、燃料を少なく出来、車重が軽くなる。タイヤ負担が少なくなり、タイヤ無交換作戦が出来る。
完走率を・・・・  後日続く