ライデイングスポーツ1987年1月号より


左からスズキ(ヨシムラ)の辻本聡 ホンダ(モリワキ)の八代俊二 右はヤマハ(ワークス)の平忠彦くん

’86シーズン、NS500 85NSR500 スペンサー仕様86NSR500 なんと4種類もの500CCマシンをこなしてきた八代は、完全に500CCライダーとしての自分を見据えている。
そんな折り、87シーズンはモリワキにNSRの貸与が無い・・・そんな状況になりそうな気配のなかで、八代は”500には乗りたいし、さりとてモリワキには500のマシンはない”
・・・の悩みをかかえているのだ。おそらく彼はモリワキを離れても、500CCに乗れる場を見つけるだろう。それが世界GPであるのか全日本で
あるのかは分からない。しかし、体制さえ整えば勿論GPへ行きたい、、、、のは言うまでもない。 と記されています。

現実としては彼はロスマンズ・ホンダワークスで世界GPを転戦するライダーになりました。
モリワキのメカニック・雑賀くんと一緒に・・・(もちろんモリワキ辞めて・・・) 世界のハッチになりました。
現役退いてから、本人曰く「ヤマハワークスから声が掛ったがモリワキへの恩返しもありTTF1はモリワキでゼッケン①を付けて走り、ヤマハには行かなかったけれども
ヤマハに行きたかったのかもしれない」と。
                          
                                        二児のパパ(娘2人と聞いています)