auto technic誌 1978年10月号から 中嶋悟

かのF1ドライバーの若かりし頃、ヨーロッパF3挑戦の様子です
日本製F3マシン:ノバ513トヨタにて 1978年7月15日のブランスハッチのレースから・・・・この8月28日のシルバーストーンまで、約1ヶ月半、その間4レースをこなし
日本では経験したことない大事故まで経験した中嶋悟。初めてのヨーロッパ、わずか4レース、という条件から結果的には見るべきものは残せながったが
「レースのコツ、レースの本質」というものは掴んだようだ。
山梨氏も「今年は小手調べ、これを踏み台に、ぜひ来年から本格的にF3挑戦を開始してみたい、悟もコツはつかんだようだから、あと1〜2シーズン
タップリ本場で混戦を経験すれば彼だってトップグループを走れるドライバーになりますよ、来年を見ていて下さい」と言い切る。
シルバーストーンのレースが終わった翌日の29日、中嶋はひとり一足先に日本に発った。
9月4日の富士GCレースに出場するためだ、山梨・宮坂両氏は30日にマシーンを日本へ送り出す手続きを済ませ9月1日にイギリスを後にした。レポート・赤井邦彦

ノバの社長が山梨氏  チーフメカニックが宮坂氏 このF3カテゴリー参加ドライバーはネルソン・ピケット アラン・プロスト デイレック・ウアーウィック テオ・ファビ とかそうそうたるメンバー