1977.6.24(金) Fuji250㎞ 公開練習第2日 雨

すっぽり梅雨の雨雲におおわれ、FISCOは雨に降りこめられていた、高原は午前中のセッションを紫電77の走行準備に費やし、午後2時からコースインした、ガソリンは20ℓいれ、相応にタイムアタックをするつもりだった、ところが走り出すと2周もしないうちにウィンドウシールドが曇り、高原は視界がきかなくなるので、ピットイン、まず誰でもするようにウェスで曇りをふいて、ベンチレーターをいっぱいに効かせたが1周もするともう曇ってしまう。空気中の許容水蒸気量(湿度)は温度が下がると低くなってしまうので、行き場のなくなった湿気はウィンドシールドを曇らせる、だから温かい乾いた空気を大量に送り換気を促進すればよいのだが、紫電77に”エアコンデッィショナー”はついていない、そこで、曇り止めもスプレーやら、換気ダクトをシールド面に直接当てるようにパイプを延ばしたり作業が続いた、しかし1分37秒24を記したのみで結局ピットを出たり入ったりでタイムを出せない。3時30分までの走行セッションが終了する前に、ひとまずパドックへ走り去った。
読者諸君も経験があるだろうが、油膜を取るとか曇らないというケミカル製品も、かえってその塗ったところだけが汚れてしまう場合がままある、紫電77もそうだったとは言い切れないが、パドックに戻ってきてから、その曇り具合を見て考えたチームの面々は、きのうは全然問題なかったのだから何かおかしかったのだと検討を重ね対策した、から拭きを丁寧にやり、4時40分頃単独で3周してみたが、あら不思議今度は全く曇ってこない、高原が乗ったままルームに座っていても大丈夫なのだ。
ウィンドシールドの曇るトラブルで首をかしげていた高原も、この日のベスト藤田直広の1分31秒28を聞くと、「30秒台はいけるよ」を表情も明るくなった。一時は「窓を取っちゃおうか!?」とまで話をしていた彼も、ホットしたのだった、小倉チーフメカは水中メガネの原理とおなじで水煙のなかでもよく前が見えるんだよと説明、窓の曇りさえなければ雨のレースもこわくないと高原陣営のムードも良くなった。