日経スポートピア 『教え上手、教わり上手』

「おまえのバッテイング、ワシに教えい」。打撃の師匠、中西太さんに出会ったときの第一声がこれだった。
西鉄で5度の本塁打王になった方が、プロ3年目、21歳の若造に打撃を教えてくれ、という。
まずは好きなようにバットを振ってみせろ、というくらいの意味だったのだが、66歳のレジェンドが、孫みたいな選手に言える言葉ではない。
若手の気持ちをくすぐりながら育てていく、中西さならではの指導が、そこから始まっていたようだ。
中西さんのように理論を持ち合わせ、それを言葉にできる指導者はプロにも多くない。
会社で上司を選べないのと同じように、プロ野球の選手もコーチを選べない。
僕はその点で、ラッキーだったのだが、指導者となってみてわかるのは選手の側にも「教わり上手」になるコツがあるのではないか、ということ。
本来、監督やコーチは選手全員を平等に見なくてはいけない。しかし、現実にはそうはいかない。
限られた時間のなかで、目の配り方に差が出てくる。際だった才能を見れば、こいつはモノにしたい、という気になるのも、人間だから仕方がない。
コーチと合わなくて、この世界から去った選手を何人も見てきた。自分の打撃はこうです、と我を張るのもいいが、監督、コーチに嫌われたら元も子もない。
現実を踏まえ、上から目をかけられる存在になる努力をすることも、組織のなかでは大事だ。
中西さんに指導を頼んでくれたおは「兄弟子」にあたるヤクルトの若松勉監督(当時)だった。中西さんや若松さんが、僕のどこを認めてくれたのかわからないが、
毎日打撃練習を見てもらい「これだけ期待されたらやるしかない」という気になった。
指導者の情熱に、僕は育てられた。
打球を飛ばすのは腕力ではなく、タイミングとポイントだよ、と中西さんは教えてくれた。
僕が左打者でありながら、ボストン・フェンウェイ・パークの左翼にそびえる壁「グリーンモンスター」を越える本塁打を打てたのはその教えによる。
実は人によって打撃理論にそれほど差があるわけではない。
他の指導者も同じようなことを言うはずだが、中西さんの言葉は説得力が違っていた。
しょっぱなから心をわしづかみにされて「この人についていけば間違いないんだ」と思い、中西さんもまた僕を認めてくれたからだろう。
互いに信じ、信じられるという関係がなければ、どんな立派な言葉も頭に入ってこない。
指導者を始めたばかりの僕も中西さんのように、選手の心をつかまえられるコーチになりたいと思っているが、
66歳になったときに若い選手に「打撃を教えてくれ」と言えるかどうか。その自身はまだない。 
(独立リーグ・福島ホープス選手兼任監督 岩村明憲)